■ 秀和青山レジデンス
■ 集合住宅が賃貸アパートの時代、
後にマンションと呼ばれる分譲アパートが生まれてきた頃の話
守屋秀夫 『建築文化(1964) 分譲アパートの建設をふりかえって』より
  分譲アパートをつくるということが、これほど大変な、苦労のいることだとは、設計を始めたときにはまったく気がつかなかった。賃貸アパートにはみられないこの苦労に気がついたのは、正直のところ、設計も終り、工事にとりかかり、営業活動が開始されてからであった。<・・・>
  内装仕上材や塗装の色ぐらいは変更のありうるものと覚悟はしていたが、造作家具の追加、和室を洋室への変更と応じているうちに、職業や家族構成による平面の根本的変更や、1住戸半のスペースを1戸として使用する変更すらあった。営業側の意見によって、設計側は一歩一歩と後退せざるをえなかった。<・・・>
  この設計変更は、テナントとの営業活動として行なわれるからやっと希望通りの図面ができても、見積りの段階に至って(原設計との差額はテナントの負担となる)、キャンセルされることもある。こうなってくると、一棟のアパートの他に、70数戸の住宅を設計するようなものである。いや、キャンセルの分を含めると、100戸以上の勘定になる。
  工事はすでに始まっているので、設計変更は、工程との関係でもいろいろと問題になってくる。施工側が、コンクリート打前に決定してくれといったり、何月何日以後の変更には応じないと宣言してみたところで、営業側からくるテナントの要求は絶対である。買う人の身になってみれば、工事の進捗がある程度の形となって現れるまでは、その気になれないだろうし、設計は複雑で時間がかかる。どうしても決定は遅れる。しかし売るためにはいたし方ない。結局現場に無理がしいられる。手もどりも多くなる。思わぬ不都合も生じてくる。こうして現場は戦場のような混乱に陥る。
  工程は次第に遅れ、予定した工期間には仕上げることができなくなる。やがて、一部のテナントの引越予定日がやってくる。工事は、やむをえず、こうした住戸を優先させて完成を急ぐ。全体としては未完成を承知でも、次々と引越して来、工事中の建物の中で住居生活が始められた。
  居住者第1号のK氏がかろうじて内装が終ったばかりのところへ移ってきたのは、寒さもまだ去らぬ3月であった。K氏邸には、ラジエーターはついている。だが暖房はいれられなかった。暖房設備が建物全体としては完成していなかったから、温水が通せないのである。無理して通水すれば他の住戸で工事が進められない。etc・etc・現場が第二の混乱に入ったことは、誰にでもご想像いただけよう。工事と生活とが並行した何ヵ月かは、施工者もテナントも、まことにお気の毒であったと言わざるをえない。