キダー・スミスからの手紙(その1)
1983年6月1日

ヨシへ

あなたの刺激的な著書(EXTERIOR DESIGN IN ARCHITECTURE)は素晴らしい-序文に私の名前もみられて。家を離れていたのでまだ全部読む時間はなかったが、特にイタリアの都市の空間のすぐれた考察には興味をもちました。あなたの鋭い分析は、随分昔になるが、1950〜51年の2年間イタリアで過ごした時のことを懐かしく思い出させてくれました。

私は今でも6つのイタリアの広場について講演をしています。その際には320枚のスライドを2つのプロジェクターを使って映画的に映しだしています。

あなたのコルビジェのチャンディガールに対するコメントは一寸きびしいのではないでしょうか。議事堂と行政庁舎の建物と高等裁判所との間が確かに遠く離れているが、コルビジェはその間に知事公邸を計画して、それは建てられなかったのです。もしそれがあれば視覚的にもっと結びつくと思われます。でも距離の問題には変わりはないでしょうが・・。議事堂と行政庁舎の関係は、この二つの建物が日常的な活動を行うので合理的でしょう。しかし、あなたの指摘のようにコルビジェが歩行者用の屋根を付ければよかったと思います。(ついでながら、サヴォア邸の保存に働いたのは実は私だったことを知っていましたか?いつかその話をしましょう。すぐにその機会があればよいのですが。)

ご著書を本当に有難う。あなたとご著書のますますの成功を祈ります。

キダー



芦原義信からキダー・スミスへの手紙
1987年10月22日

キダーへ

10月5日付けのお手紙ありがとう。あなたが送って下さった100枚の写真は素晴らしいものです。この前の手紙でも書いたように、日本建築学会はあなたの展覧会を来春に企画しています。あなた方ご夫妻をご招待するつもりです。その際東京と京都で記念講演をしていただきたいと思っています。

とにかく日本に来て下さい。そして、あなたの大切なコレクションについては、その可能性を話し合いましょう。

ヨシ







キダー・スミスからの手紙(その2)
1988年3月18日

ヨシへ

2月4日の私からの手紙で送るといった資料をまとめるのにすっかり遅くなってしまいました。前にも書いたように“アーキテクチャーUSA”の大きい美術館サイズの断面図の写真100枚を日本建築学会に差し上げようと思っています。写真のサイズは約40×50で、この国の13世紀の崖の上の住宅から1980年までの作品に対するこれまで誰も述べていない見解を示していると私は思っています。そこで私の質問ですが、学会に宛てて送るとしたら、だれ宛に送ればよいのか名前を知らせて下さい。たぶん5kgの重さになると思いますが、返事があり次第航空便で送ります。

キダー










キダー・スミスからの手紙(その3)
1988年10月28日

ヨシへ

私は12時間のノンストップの空の旅から無事に帰って一息ついたところです。あなたの素晴らしいおもてなしとお気遣い、それに建築学会のご配慮が今度の旅行を忘れがたいものにしました。

唯一の残念だったのは日本の優れた建築、古いものも新しいものも、もっと沢山見たかったことです。もっとも日本建築学会が案内役として藤岡洋保さんをつけてくれたので、自分達だけでは到底見ることの出来ない数多くのものを見ることが出来ました。学会の寛大な配慮に感謝しています。将来、再びあなたの国の信じがたい程に繊細で独創的な建物をもっと調査したいと思います。

どういうわけか、桂離宮は22年前に見た時ほど印象的ではありませんでした。多分雨がしとしと降っていたせいかもしれなせんが。たしかに、この画期的な作品について唯見るだけでなく、もう一度日本について研究しなくてはならないと思います。竜安寺の庭は雨が降っていても関係なく他に較べるものがない程です。如何にして、何故、この壁に囲まれた15個の岩を置いた掃目のついた庭が、この様に人の気をそそるのかは私にはわかりません。とにかく見事です。奈良は混雑していましたが非常に印象的でした。

神社に行った後であなたのお宅でいただいたのが日本での最高の御馳走でした。素晴らしい夜、素晴らしい旅!

この講演会を実行していただいて、あなたと初子さんに深い感謝をささげます。

キダー



キダー・スミスの著書とサイン→

キダー・スミスからの手紙(その1)
芦原義信からキダー・スミスへの手紙
キダー・スミスからの手紙(その2)
キダー・スミスからの手紙(その3)
Kidder Smithの著書
LOOKING AT ARCHITECTURE
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