ドキシアディスからの手紙
1970年8月25日

芦原さん あなたがアテネにいらっしゃるとのお手紙うれしく拝見しました。残念ながら9月5日と6日は出かけていますが、6日の夜遅く帰るので7日の朝にはお目にかかれます。8:30にオフィスでお待ちしています。あなたには是非お目にかかって、今私どもがやっていることをご紹介したいと思います。もしいらっしゃれなければ電話でお知らせください。

ご本受取りました。お祝い申し上げます。大変おもしろそうです。お目にかかるまでに読んでこの本のことをお話ししましょう。

御大切に








芦原義信からドキシアディスへの手紙
1972年8月1日

ドキシアディスさんへ

私と家内、息子にとってデロス10に出席したことは大いなる喜びであり、感謝いたします。あれからイタリア、スペインを旅して日本に昨日無事帰ってきました。

私はデロス10はデロス9よりもっと刺激的で実り多かったと思います。世界の傑出した人々がどのようなことを考えているのかを知ることは大変有意義なことです。一方英語を話すことの少ない人々にとっては、母国語としている人々の中で、自分の意見を述べたり、問題について論じたりする機会が少なく、かなりのハンディキャップがあると感じました。

私どもはかねがねあなたの様な国際的で、しかもギリシャの文化伝統をそなえ、西欧とその他の文化の中に立って活躍している方を尊敬しています。 くれぐれもお体を大切に、ますますのご活躍を期待しております。

芦原義信




デロス会議とは
Mother GAIA Summitより抜粋)

デロス会議は、1963年、世界を代表する学者・実務家・建築家などが、ギリシャ・エーゲ海の無人島デロス島に集まり、急激な人口爆発にともなう、都市問題を初めとした世界の諸問題を解決し、地球上における人間の居住をどうするのかについて総合的・学際的な枠組みを研究提案するために開催されました。

参加者は、歴史学者・アーノルド・トインビー、人類学者マーガレット・ミード、経済学者バーバラ・フォード、ノーベル賞受賞者で生理学者C.H.ワディントン、メディア研究者マーシャル・マクルーハン、未来学者ハーマン・カーン、社会学者スーザン・ケラー、同じく磯村英一、建築家としては、丹下健三、バックミンスター・フラー、英国のリチャード・レウリン・デーヴィス、都市デザインのエドモンド・ベーコン、英国の都市計画者コーリン・ブカナン、理論家としてCIAM事務局長ジークフリード・ギーデオン、ハーバード大学教授ジャッキー・ティルウッドなどの錚々たるメンバーでした。

<・・・>

会議の主宰は、コンスタンティノス・A・ドキシアディス博士で、ギリシャの戦後復興に尽力した建築家・都市研究家であり、パキスタンの首都イスラマバードの設計を初めとする実績を持つ政策官で実務家でもありました。

<・・・>



















デロス会議
我が軌跡を語るより抜粋

人生で非常に思い出深いものは何かといったら、やっぱりドキシアディスのデロス会議に参加したことですね。

<中略>

行ってみて驚いたんですが、アーノルド・トインピー夫妻からマーシャル・マクルーハン、ハーマン・カーン、エドワード・ホール、ローレンス・ハルプリン、ハリソン・ブラウン、ルネ・デュボスとか、著名な人がゾロゾロきている。それが船の中で家族もろとも1週問をいっしょに過ごす。ウチの息子もハンス・アスプルンドの息子と同じ船室になって、インフォメーションを印刷させられたり配ったりして、それですっかり仲よくなって帰途、息子ひとりでスウェーデンのアスプルンドの家にも行ったりしたんです。とにかく午前中会議をやって、午後そこで泳いで、そしてディナー食べて、夜寝ている間に次の島に行く。そこでまだ会議をやる。本当にみんな仲よくなるし、本当に素晴しかったですね。



ドキシアディスからの手紙
芦原義信からドキシアディスへの手紙
第10回デロス会議(1972年)
孫とダンスするドキシアディス
第10回デロス会議(1972年)
左より、芦原義信、ローレンス・ハルプリン、
マーシャル・マクルーハン
第10回デロス会議(1972年)
第10回デロス会議
(芦原義信著「我が軌跡を語る」より抜粋)
第10回デロス会議
(芦原義信著「我が軌跡を語る」より抜粋)